トラログ

30代サラリーマンの日記。会社員の悲哀を綴ります。現在はHIITやマインドフルネス瞑想に取り組んでいます。

何者にもなれないと気づいた時

誰にでもあるかもしれないが、社会人になった時どんな会社にもやる気のなさそうな 50代がいる場合がある。

 

「自分はあんな風にはならない もっと意識を高く持つ 自分は特別な存在だ」今となっては呆れてしまうが本気でそう思っていたというのも嘘ではない。

 

多くの新社会人は大きな志を持って社会人になる。しかし、 3年、5年、10年と過ぎるととてつもない現実を突きつけられる。自分は何もできない無能な人間だ 。

人と違うわけでもなく、何か特別な知識や技術があるわけでもない。 自分もあのやる気のない50代のようになってしまうのだろうか? そんなことを 最近思うことが増えた。

 

現実を突きつけられて 絶望する、そんな人は多いのかもしれない。

 

私の知人でこんな人がいる。

 

地方在住としては珍しく、 彼は運転免許を持っておらず、自転車で会社に通勤をしていた。

 

そんなところが目に付くのだろう。

 

周りの人から見れば一風変わった対象として認知されてしまう。

 

仕事に対しては実直だが、「免許をもっていない」ただ他の人とは違うそれだけのことで、いじめの対象になっていたらしい。

 

仕事に対して しっかりとこなすので 真面目に定年まで勤め上げた 。

現在は楽しくリタイヤ後の生活を過ごしている。

 

この人が仕事で 何者かになったわけではない。

 

ただ 40年以上一つの会社で 真面目に勤めた。

 

いじめにも耐えて。

 

私にそのような 覚悟は今のところはない。

 

一つの会社に勤めあげることは必ずしも正しいとは限らない。

転職が当たり前の時代だ。

 

しかし何者かになれないと分かった時点でそれを受け入れコツコツと何十年も働くという覚悟は率直にすごいことだと思う。

 

己の能力や現状を受け止めて、ただひたすらに地道に仕事を続けていく。

人生をやり過ごすそういう能力も凡人には必要だ。

 

何者にもなれないとわかった時、私は凡人として今後、人生をやり過ごす能力を磨きあげることができるだろうか。